因島(読み)いんのしま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広島県東部尾道市南西部の旧市域。瀬戸内海因島全島と生口島の一部,周辺の小島からなる。 1953年土生町,田熊町,三庄町の3町と中庄村,大浜村,重井村,東生口村の4村が合体して市制。 2006年尾道市に編入中世村上水軍 (→村上氏 ) の根拠地で,県史跡の青影城跡にその面影をとどめる。明治末期までは農漁村だったが,1911年因島の南西岸にある中心市街地の土生に造船所が建設されて以来,造船都市として発展。大規模な造船所や関連工場が立地し,周辺の島々から通勤する人も多い。土生の北方箱崎内海家船 (水上生活者の船) 漁業で知られた。農村部では山の斜面を利用してミカン,ハッサクなどの柑橘類,ジョチュウギク,サツマイモ,オリーブなどが栽培されている。
広島県南東部,瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島東部の島。尾道市に属する。本土の尾道まで約 17km。平地に乏しく,奥山 (390m) ,青影山 (268m) など山地が多い。段々畑でミカン,オリーブ,ジョチュウギクなどを栽培。尾道と今治を結ぶ本州四国連絡橋西瀬戸自動車道の通過地で,1983年に北の向島との間に因島大橋が完成,1991年には南西の生口島とを結ぶ生口橋も完成した。島域の一部は瀬戸内海国立公園に属する。面積 (2002) 34.97km2。人口2万 9126 (1996) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

広島県因島市の大部分を構成する島。面積33.9km2。芸予諸島の北東部に位置し,北は布刈(めかり)瀬戸をはさんで向島に,南は長崎瀬戸を隔てて愛媛県弓削(ゆげ)島に対する。島の中央から東部には古生層からなる奥山(391m),青影山などの急峻な山地があるが,ほかの大部分は花コウ岩からなる低起伏の丘陵地や山麓緩斜面であり,島の生産物であるミカン,ハッサクなどが栽培されている。樹園地が耕地の大半を占めるが,ミカンの生産過剰という状況の中で,晩柑作への切替えや野菜栽培を進めている。

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精選版 日本国語大辞典の解説

(古くは「院島」) 広島県南東部、瀬戸内海の芸予諸島東部の島。中世には水軍村上氏の根拠地で、明治以降は造船業で栄えた。青陰城跡がある。昭和二八年(一九五三)生口(いくち)島東部と細島を合わせて市制。いんとう。

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世界大百科事典内の因島の言及

【備後国】より

…19年(元応1)守護長井貞重の代官円清らが尾道浦に乱入し,当浦預所代らを殺害し悪党らをからめ取り,民家1000余宇などを焼き大船数十艘で仏聖人供などの資財を運び去った事件は,悪党どうしの衝突と評価される。当時塩の生産地因島(いんのしま)の地頭職は北条得宗領であったが,33年(元弘3)尾道浄土寺に寄進された。西大寺叡尊の弟子定証による浄土寺の再興や同宗の草戸(草戸千軒)の常福寺再建,尾道での時宗の海徳寺や常称寺の創建,浄土真宗明光派の始祖による沼隈郡山南(さんな)の光照寺の創建,同郡水呑にあった真言宗重顕寺の日蓮宗への改宗などは鎌倉後期以降の内海水運の発達にそうものであった。…

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