知恵蔵
「非同盟諸国首脳会議」の解説
非同盟諸国首脳会議
1961年のベオグラード会議以来、ほぼ3年ごとに開催。117カ国とPLOが参加(2006年9月、ハバナ会議)。92年以降、南北対話を打ち出したが、03年クアラルンプール会議は、「悪の枢軸」を唱えたブッシュ米政権を非難、米国のイラク戦争に反対。06年ハバナ会議は、(1)約半世紀間米国と対決してきたキューバが議長国となり(フィデル・カストロ議長は病気で欠席)、(2)中南米の反米自立を説くベネズエラなどの主張を反映し「単独行動主義と干渉」に反対、(3)核開発に関し米国と対立するイランを「民生用の核開発は平和目的」と支持、(4)イスラエルのレバノン侵攻を非難、(5)国連改革は安保理での拒否権制限と総会の役割拡大を要求、など「反米」が基調となった。なおこの会議の先駆となったのは、55年の冷戦下、民族自決を掲げ、脱植民地化の流れを決定づけたアジア・アフリカ会議(開催地のインドネシアのバンドンにちなみバンドン会議と呼ばれる)である。その50周年を記念して05年4月、同じバンドンでアジア・アフリカ記念会議が開催され、約100カ国の首脳らが出席。バンドン精神の継承、貧困撲滅の目標実現、紛争・汚職の防止、持続可能な開発のための資源活用、4年ごとの首脳会議の開催などを決定。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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非同盟諸国首脳会議
ひどうめいしょこくしゅのうかいぎ
Conference of Heads of States and Chief ministers of Non-Aligned Nations
非同盟諸国の会議。中立国首脳会議ともいう
第1回会議はインドのネルー,ユーゴスラヴィアのティトー,エジプトのナセル,インドネシアのスカルノらの提唱により1961年9月,ユーゴスラヴィアのベオグラードで開催され,植民地主義の清算と米ソの共存を呼びかけた。以後原則として3年に1回開催され,参加国も増大して途上国の重要な発言の場となっている。1992年にはジャカルタで第10回会議が開かれ108か国が参加した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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非同盟諸国首脳会議(ひどうめいしょこくしゅのうかいぎ)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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