非同盟運動(読み)ひどうめいうんどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「非同盟運動」の意味・わかりやすい解説

非同盟運動
ひどうめいうんどう

いかなる同盟ブロックにも参加せず,平和と安全の維持に努力することを目的とする運動。 1947年の独立以来,インドは一貫して非同盟運動の推進者,にない手である。当初,インドの外交はネルー外交とも呼ばれ,政治的・経済的な自立の達成を目標にして,米ソ冷戦時代に,新興の第三世界諸国を結集できた。 55年のアジア=アフリカ会議はその起点をなし,東側諸国もこの運動に積極的であった。しかし,1960年代の中ソ対立と南北問題に派生する南々問題,さらに 80年代末の米ソ対立の解消は第三世界の非同盟運動に大きな試練をもたらした。いわゆる南北問題が存在するかぎり,第三世界の利益を結集する条件は存在し,1992年9月には第 10回非同盟諸国首脳会議がジャカルタで開かれた。 1960年代以降,会議はより経済的な協力問題に関心を払うようになったのも特徴的である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「非同盟運動」の解説

非同盟運動(ひどうめいうんどう)
Non-Alignment Movement

1950年代の冷戦なかで,米ソ陣営いずれにも属さず,「中立主義」と「反植民地主義」を掲げ国際政治一定役割を果たした運動。ユーゴスラヴィアティトー大統領,インドのネルー首相,エジプトナセル大統領などが創設に大きな役割を果たした。61年にベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議が開かれ正式に発足。冷戦期の緊張緩和に一定の役割を果たした。2003年2月にはクアラルンプールで第13回首脳会議が開かれた。

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世界大百科事典(旧版)内の非同盟運動の言及

【インド[国]】より

…この会議でネルーは中国の周恩来首相のアジア・アフリカ諸国への紹介役も務めたが,その中国とは間もなく国境問題やチベット問題をめぐって衝突する。本格的な非同盟運動は,中国との対立がインドの立場にとって打撃となりはじめていた1961年からである。その前年は〈アフリカの年〉で,これに代表される新興諸国の台頭と国連の変化を受けて,米ソ対立の緩和のため61年に当時のユーゴスラビアで,ユーゴのチトー,エジプトのナーセル,ガーナのエンクルマ,インドネシアのスカルノ,それにネルーの5人の首脳を中心人物とする25ヵ国からなる第1回の非同盟諸国会議が開かれた。…

※「非同盟運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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