ネルー(読み)ねるー(英語表記)Jawāharlāl Nehrū

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネルー」の意味・わかりやすい解説

ネルー
ねるー
Jawāharlāl Nehrū
(1889―1964)

インドの政治家、思想家。インド共和国初代首相(在職1947~1964)。パンディットジーの名で親しまれた。北インド、アラハバードの著名で富裕な弁護士モーティーラール・ネルー長男として生まれる。すぐ下の妹が国連大使などを務めたビジャエラクシュミー・パンディット。1905年にイギリスに渡り、ハロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学ぶ。インナー・テンプル法院からバリスター(法廷弁護士)の資格を得て、1912年帰国。1916年カマラーと結婚、翌1917年インディラ(のちにインド首相)誕生。

 法廷生活に飽き足らず、M・ガンディーの指導下で1919年に始まった第一次サティヤーグラハ(非暴力抵抗)闘争に参加し、完全に政治運動に踏み切る。ある意味で保守的で形而上(けいじじょう)学的理念に固執するガンディーと、宗教への関心も薄く合理主義的思考が顕著なネルーの間には大きな隔たりがあり、しばしば両者は衝突したが、ガンディーはつねに国民会議派内の勢力のバランスに心を砕き、そのなかでのネルーの地位の確立に努めた。ガンディーの支持によって、1928年の会議派書記長を経て、1929年を皮切りに1936年(年2回)および1946年と4度も会議派議長の重責を担う。この間、9回、通算9年間を政治犯として獄中で過ごす。1927年にブリュッセルでの被抑圧諸民族会議に出席したあと、同年11月、当時のソ連を訪問し、そこでの社会主義建設に強い関心を示す。1929年の会議派大会議長演説では将来のインドの方向として社会主義を掲げた。同年全インド労働組合会議議長。1930~1934年の第二次サティヤーグラハ闘争のあとガンディーの発言力が後退するなかで、スバーシュ・C・ボースらとともに会議派内急進グループを代表した。1934年の会議派社会党結成にも助力するが、会議派内右派勢力の存在を考慮して自らは不参加。1938年には中国を訪れる。

 1947年のインド独立とともに外相を兼ねる初代首相となり、副首相兼内務相のサルダール・パテールとともに意欲的な国家建設に着手。経済面では計画経済や国営部門重視などの政策をとるが、地主資本家階級の発言力が強い会議派政権の下では、かつて構想した社会主義社会の建設は進められなかった。政治面では議会制民主主義定着とそのなかでの会議派勢力の強化に重点が置かれた。外交面では1954年に中国との間で平和五原則を結び、翌1955年この原則に基づいたバンドンでのアジア・アフリカ会議で指導的役割を果たした。その後も第三世界の連帯、非同盟外交展開の主要な担い手として国際的に活躍した。一方、1950年代後半以降、土地改革の不徹底、5か年計画の目標の不達成などによって、国内的には政治的危機が高まった。軍事費の莫大(ばくだい)な支出、しだいに肥大化する外国資本への過度の依存などがネルー政権の経済政策に暗い影を投げかけた。とくに1962年の中印国境紛争でインドが敗北したあとは、ネルーの指導的地位が著しく低下した。そして後継者問題が表面化するなかで、1964年5月27日に老衰のため死去した。『ソビエト・ロシア』(1929)はじめ著書も多いが、ことに日本でもよく知られている『自伝』(1936)、『父が子に語る世界歴史』(原題『世界史瞥見(べっけん)』1939)、『インドの発見』(1946)はいずれも獄中で執筆されたものである。1957年(昭和32)来日している。

[内藤雅雄]

『中村平治著『ネルー』(1966・清水書院)』『山折哲雄著『ガンディーとネルー』(1974・評論社)』『大山聡訳『父が子に語る世界歴史』全6巻(1965~1966・みすず書房)』『辻直四郎・飯塚浩二・蝋山芳郎訳『インドの発見』全2巻(1953、1956・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネルー」の意味・わかりやすい解説

ネルー
Nehru, Jawaharlal

[生]1889.11.14. アラーハーバード
[没]1964.5.27. ニューデリー
インドの政治家。カシミールの富裕なバラモンの家系に生れ,1905年イギリスに留学,ケンブリッジ大学で自然科学と法律の学位を取得し 12年に帰国,インド国民会議派年次大会に参加した。弁護士であった父とともに M.ガンジーの影響を受け,インド独立運動を促進。 21年に反英闘争で捕われたのをはじめ,45年までに再三逮捕されて約 10年間を獄中でおくった。その間国民会議派を代表しイギリスと折衝,47年インドとパキスタンの分離独立に伴い,インドの首相兼外相に就任。国内的には5ヵ年計画,国際的には非同盟主義外交を提唱し,民主的で親しみのある率直な性格はインド国民の熱烈な支持を得,終身首相をつとめた。このネルー時代のインド政治を人々はネルー型民主主義の形成時代と広く理解している。

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