インドの政治家、思想家。インド共和国初代首相(在職1947~1964)。パンディットジーの名で親しまれた。北インド、アラハバードの著名で富裕な弁護士モーティーラール・ネルーの長男として生まれる。すぐ下の妹が国連大使などを務めたビジャエラクシュミー・パンディット。1905年にイギリスに渡り、ハロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学ぶ。インナー・テンプル法院からバリスター(法廷弁護士)の資格を得て、1912年帰国。1916年カマラーと結婚、翌1917年インディラ(のちにインド首相)誕生。
法廷生活に飽き足らず、M・ガンディーの指導下で1919年に始まった第一次サティヤーグラハ(非暴力抵抗)闘争に参加し、完全に政治運動に踏み切る。ある意味で保守的で形而上(けいじじょう)学的理念に固執するガンディーと、宗教への関心も薄く合理主義的思考が顕著なネルーの間には大きな隔たりがあり、しばしば両者は衝突したが、ガンディーはつねに国民会議派内の勢力のバランスに心を砕き、そのなかでのネルーの地位の確立に努めた。ガンディーの支持によって、1928年の会議派書記長を経て、1929年を皮切りに1936年(年2回)および1946年と4度も会議派議長の重責を担う。この間、9回、通算9年間を政治犯として獄中で過ごす。1927年にブリュッセルでの被抑圧諸民族会議に出席したあと、同年11月、当時のソ連を訪問し、そこでの社会主義建設に強い関心を示す。1929年の会議派大会議長演説では将来のインドの方向として社会主義を掲げた。同年全インド労働組合会議議長。1930~1934年の第二次サティヤーグラハ闘争のあとガンディーの発言力が後退するなかで、スバーシュ・C・ボースらとともに会議派内急進グループを代表した。1934年の会議派社会党結成にも助力するが、会議派内右派勢力の存在を考慮して自らは不参加。1938年には中国を訪れる。
1947年のインド独立とともに外相を兼ねる初代首相となり、副首相兼内務相のサルダール・パテールとともに意欲的な国家建設に着手。経済面では計画経済や国営部門重視などの政策をとるが、地主・資本家階級の発言力が強い会議派政権の下では、かつて構想した社会主義社会の建設は進められなかった。政治面では議会制民主主義の定着とそのなかでの会議派勢力の強化に重点が置かれた。外交面では1954年に中国との間で平和五原則を結び、翌1955年この原則に基づいたバンドンでのアジア・アフリカ会議で指導的役割を果たした。その後も第三世界の連帯、非同盟外交展開の主要な担い手として国際的に活躍した。一方、1950年代後半以降、土地改革の不徹底、5か年計画の目標の不達成などによって、国内的には政治的危機が高まった。軍事費の莫大(ばくだい)な支出、しだいに肥大化する外国資本への過度の依存などがネルー政権の経済政策に暗い影を投げかけた。とくに1962年の中印国境紛争でインドが敗北したあとは、ネルーの指導的地位が著しく低下した。そして後継者問題が表面化するなかで、1964年5月27日に老衰のため死去した。『ソビエト・ロシア』(1929)はじめ著書も多いが、ことに日本でもよく知られている『自伝』(1936)、『父が子に語る世界歴史』(原題『世界史瞥見(べっけん)』1939)、『インドの発見』(1946)はいずれも獄中で執筆されたものである。1957年(昭和32)来日している。
[内藤雅雄]
『中村平治著『ネルー』(1966・清水書院)』▽『山折哲雄著『ガンディーとネルー』(1974・評論社)』▽『大山聡訳『父が子に語る世界歴史』全6巻(1965~1966・みすず書房)』▽『辻直四郎・飯塚浩二・蝋山芳郎訳『インドの発見』全2巻(1953、1956・岩波書店)』
インドの政治家,独立インド初代首相(在職1947-64)。インディラ・ガンディーはその娘。アラーハーバードの著名な弁護士・政治指導者モーティーラール・ネルーの長男として生まれ,1905-12年の間イギリスのケンブリッジ大学やロンドンのインナー・テンプルに留学して自らも弁護士の資格を得る。しかし法律にあきたらず,ただちに国民会議派に参加して民族運動に飛び込む。はじめB.G.ティラクら急進的民族派の運動にひかれ,19年のサティヤーグラハ(非暴力抵抗)闘争以後は終始マハートマー・ガンディーと歩みを共にした。しかしガンディー特有のナロードニキ的側面や,形而上学的理念重視の姿勢とはしばしば衝突した。常に反英・反帝国主義闘争の先頭に立ち,21年の最初の投獄以来,45年の最後の釈放までの間に9回,通算9年の獄中生活を体験している。1928年に会議派書記長,翌29年初めて会議派議長に選出され,同年全インド労働組合会議議長をも兼任。これより前,27年にソビエト連邦を訪問し,そこでの社会主義建設に深い関心を寄せ,29年の会議派大会で初めて,将来のインドの採るべき道として〈社会主義型社会〉の構想を語っている。独立前は36年(2度)と46年にも会議派議長。
47年のインド独立後,首相兼外相となり,副首相V.パテールとともに新興国家建設に尽力する。国際的には54年中国との〈チベットに関する協定〉のなかで平和五原則を確認,翌年にはこの原則を基調とするバンドンでのアジア・アフリカ会議で主導的な立場に立ち,非同盟諸国の団結強化の上で重要な役割を果たした。しかし国内的には,55年に会議派第60回大会で決議された〈社会主義型社会〉構想も,土地改革の不徹底や五ヵ年計画の目標不達成などのためつまずいた。また国境をめぐるパキスタンや中国との戦争による膨大な軍事費の支出や,60年代以降の外国資本への依存度の増大もネルー政権の経済政策に重大な阻害要因として働いた。こうして長年掲げてきた〈社会主義〉のスローガンが挫折する中で病死した。57年に一度来日。すぐれた歴史認識で知られ,《自伝》(1936)のほか《父が子に語る世界史》(1939),《インドの発見》(1946)の著書は有名。
執筆者:内藤 雅雄
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1889~1964
インドの政治家で,初代インド首相(在任1947~64)。国民会議派の有力な指導者モーティーラール・ネルーの長男として生まれ,イギリスのケンブリッジ大学などに留学し弁護士資格を得る。帰国後,国民会議派の民族独立運動に参加し,たびたび投獄された。マハトマ・ガンディーの非暴力闘争に影響されたが,ネルー自身は近代的政治経済思想の信奉者であった。1947年のインド独立以降64年の死まで首相を務め,国家建設に尽力した。国家建設の基本を穏健な民主主義的プロセスによる公的部門優位の社会主義型社会の建設に置き,3次にわたる5カ年計画を実施した。また国民統合に意を注ぎ世俗主義を定着させようとしたが,急進的な社会改革は行わなかった。アジアの代表的指導者とされ,非同盟運動の形成において指導的役割を果たした。しかし62年の中国との国境戦争での敗北,60年代前半の経済発展の停滞などで失意のうちに晩年を迎えた。優れた歴史認識を持ち,獄中で書かれた『インドの発見』などは有名。
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…会議派のシンボル的な存在であったM.K.ガンディーはこのような状況をみて独立達成の意義に疑問をもつようになっていたが,彼自身もそのムスリムへの宥和的態度を憎む狂信的なヒンドゥー教徒によって48年1月にニューデリーで暗殺された。
[ネルー政権の基盤]
独立によって総督,あるいは共和制に移行してからの大統領の地位は名目的なものとなり,政治の中心は連邦首相に移った。首相は独立から64年5月の病死まで17年間,ジャワーハルラール・ネルーであった。…
…しかし20世紀初頭〈ラール・バール・パール〉と呼ばれたL.ラージパット・ラーイ,B.G.ティラク,B.C.パールら急進的民族派が主導権を握って展開した1905‐08年の〈ベンガル分割反対闘争〉,第1次大戦後19‐22年および30‐34年のガンディー指導下の〈サティヤーグラハ運動〉を通じて,インド人大衆の反英・反帝国主義運動の中枢的組織へと発展していく。特にこの間ガンディーの独特の主導の下で,P.J.ネルーを先頭とする少数=急進派とV.J.パテールやR.プラサードら多数=保守派が最高指導部として巧みに統合され,州・県・郡・村とつながる確固たる組織網が形成された。しかもこのガンディー=国民会議派保守派の線には,G.D.ビルラーを中心とするインド民族資本の主流が強固に結びつくという構造もつくり上げられていく。…
…中国の周恩来とインドのネルーのあいだで確認された国際関係規制の原則。1954年4月中国とインドの両国政府間に結ばれた〈チベット・インド間の通商および交通に関する協定〉は,中印両国の今後の関係を規制する新しい原則として,(1)領土・主権の尊重,(2)対外不侵略,(3)内政不干渉,(4)平等互恵,(5)平和的共存の原則五つを列挙した。…
※「ネルー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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