鞍作村(読み)くらつくりむら

日本歴史地名大系 「鞍作村」の解説

鞍作村
くらつくりむら

[現在地名]平野区加美かみ〈鞍作一丁目・きた八―九丁目・正覚寺しようがくじ三丁目・ひがし一―七丁目・みなみ一丁目・同三丁目〉など

河内国渋川郡に属する。正覚寺村の東に位置し、村の南部を八尾やお街道が通る。また、中央部を南北に水路が走り、その南端新家しんけ村との境をなす。「四天王寺御手印縁起」に、物部守屋滅亡後没収して四天王寺(現天王寺区)領とした所領の一所として「鞍作」がみえ、「鞍作地肆仟陸佰玖拾弐代」が渋川郡三条「利苅とかり里」「宮田ノ里」、四条「双六すくろくノ里」「長瀬ノ里」にあった。古代当地には鞍作氏三代、すなわち司馬達等、その子善信尼および多須那、多須那の子止利が住んでいたといわれる。止利は飛鳥時代の仏師として著名

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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