日本歴史地名大系 「須影村」の解説 須影村すかげむら 埼玉県:羽生市須影村[現在地名]羽生市須影旧利根川乱流域の自然堤防上に位置する。須は州のことで、影はその後方の意とされる(埼玉県地名誌)。北を手子堀(てこぼり)川、南を午(うま)ノ堀(ほり)川に挟まれた東西に延びる微高地形を示す。北は手子堀川を挟んで加羽(かば)ヶ崎(さき)村・秀安(ひでやす)村など。田園簿によると幕府領で、田高四三四石余・畑高四一六石余、ほかに野銭永九三文がある。元禄郷帳では高六九七石余、旗本藤枝領と白山社・八幡社・東養(とうよう)寺の寺社領(国立史料館本元禄郷帳)。藤枝領は宝永二年(一七〇五)から天明五年(一七八五)まで(「寛政重修諸家譜」など)。寛政二年(一七九〇)陸奥泉藩領となり、幕末まで変化なし(改革組合取調書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by