日本歴史地名大系 「須曾村」の解説 須曾村すそむら 石川県:鹿島郡能登島町須曾村[現在地名]能登島町須曾半浦(はんのうら)村から南東へ三一町余、七尾南湾に南面した村で、南端は屏風(びようぶ)崎。文明一三年(一四八一)一月一一日の能登島八ヶ村公田田数注文(伊夜比神社文書)によると、一宮気多社の二斗米(段銭)賦課の対象とされていた須曾の公田数は六町六六〇刈で、馬淵殿の知行分。戦国後期頃には遊佐氏の給分となっていた(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。なお、永正一五年(一五一八)三月能登を旅した冷泉為広の「能州下向日記」に「スソ」「屏風ケ崎」がみえる。天文一三年(一五四四)前京都東福寺住持の彭叔守仙が撰した「独楽亭記」には七尾湾岸の浦々の景勝が詠まれ、「屏風崎」もあげられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by