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須田幹三 すだ かんぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

須田幹三 すだ-かんぞう

1860-1921 明治-大正時代の治水家。
万延元年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)鹿島郡須田新田の開拓者須田官蔵の一族で地主。明治25年茨城県会議員となり,霞ケ浦落口護岸,架橋,北利根川改修工事などにつくした。子に須田誠太郎。大正10年死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

須田幹三

没年:大正10(1921)
生年万延1(1860)
明治大正期の治水事業家。須田新田の開拓者・須田官蔵の同族。明治25(1892)年茨城県会議員(改進党)となり,霞ケ浦落口護岸工事,架橋工事,北利根川改修工事などに尽力した。日露戦争後の地方改良運動期には茨城県知事に「農事督励私議」を建議し,地主の立場から農業改良の方法6策を提案。また「香澄村是」策定の委員長を務めるなど積極的に地域振興を指導した。治水事業は子の誠太郎(1881~1969)に引き継がれた。

(佐久間好雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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