須田幹三(読み)スダ カンゾウ

20世紀日本人名事典 「須田幹三」の解説

須田 幹三
スダ カンゾウ

明治・大正期の治水事業家 茨城県議。



生年
万延1年(1860年)

没年
大正10(1921)年

出生地
常陸国(茨城県)

経歴
常陸国鹿島郡須田新田の開拓者である須田官蔵一族地主でもある。明治25年に改進党所属の茨城県議となり、霞ヶ浦落口護岸工事をはじめ架橋工事や北利根川の改修工事などの治水事業に力を尽くす。日露戦争後には茨城県知事に「農事督励私案」を提案したほか、「香澄村是」の策定委員長を務めるなど地域の農業産業振興を積極的に指導。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「須田幹三」の解説

須田幹三

没年:大正10(1921)
生年:万延1(1860)
明治大正期の治水事業家。須田新田の開拓者・須田官蔵の同族。明治25(1892)年茨城県会議員(改進党)となり,霞ケ浦落口護岸工事,架橋工事,北利根川改修工事などに尽力した。日露戦争後の地方改良運動期には茨城県知事に「農事督励私議」を建議し,地主の立場から農業改良の方法6策を提案。また「香澄村是」策定の委員長を務めるなど積極的に地域振興を指導した。治水事業は子の誠太郎(1881~1969)に引き継がれた。

(佐久間好雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須田幹三」の解説

須田幹三 すだ-かんぞう

1860-1921 明治-大正時代の治水家。
万延元年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)鹿島郡須田新田の開拓者須田官蔵の一族で地主。明治25年茨城県会議員となり,霞ケ浦落口護岸,架橋,北利根川改修工事などにつくした。子に須田誠太郎。大正10年死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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