日本歴史地名大系 「須田郷」の解説 須田郷すだごう 長野県:須坂市須田郷中世、須田氏支配の郷村である。井上満実の子為実が須田氏を称し、子孫は福島(ふくじま)・米持(よなもち)・小山(こやま)・日滝(ひたき)へと進出繁栄したという(上高井歴史)。近世口碑的に記された「入氏系図」に須田八郷があり、福島村(西川原新田(にしかわらしんでん)・米持・幸高(こうたか))、小山村(矢辺(やべ)・北原(きたはら)・東谷(ひがしだん)・八幡森(はちまんもり)新田・坂井沢(さかいざわ))、米粉村(亀倉(かめくら))、塩川(しおかわ)村(沼目(ぬまめ)・高梨(たかなし)・中島(なかじま)・九反田(くたんだ))、小河原(おがわら)村(五閑(ごかん)・八重森(やえもり))、坂田(さかだ)村(東谷・寺小山(てらこやま)・須坂(すざか)・高橋(たかはし)・大屋(おおや)(谷)・肥滝(ひたき))、東小島(ひがしこじま)村、東村山(ひがしむらやま)村である。嘉暦四年(一三二九)の「諏方上宮五月会付流鏑馬之頭・花会頭与可為同前御射山頭役結番之事」とある鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に「郷須田太郎跡」がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by