大岩郷(読み)おおいわごう

日本歴史地名大系 「大岩郷」の解説

大岩郷
おおいわごう

静岡平野の北部に位置し、西側は賤機しずはた山で、東は安東あんどう郷に接する。文和五年(一三五六)二月一〇日の駿河守護今川範氏書下(駿河伊達文書)によると、これ以前に大岩孫四郎入道恵照女子の村主氏女が安西あんざい郷住人鶴女に売却した「大岩郷」内の田地一反が、徳政により氏女に返還されている。貞治二年(一三六三)六月六日、前駿河守護今川範国(心省)宝樹ほうじゆ院に足利尊氏(等持院殿)が寄進した当郷の一町(斗代三石)を安堵し(「今川範国書下写」諸家文書纂)、文安元年(一四四四)三月二七日には同国守護今川範忠が同書下の案文の裏を封じて再び安堵している。また田数の記載のない同日の今川範忠書下写(判物証文写)が伝来している。永正六年(一五〇九)九月六日、今川氏親が同様に宝樹院に安堵している(駿河志料)

大岩郷
おおいわごう

中世、須田氏支配の郷で、現須坂市日滝ひたき地区に推定される。日滝には須田氏の城と伝える大岩城がある。

嘉暦四年(一三二九)の大宮御造栄之目録に「外垣二間 大岩上下」とあるのが初見。諏訪御符礼之古書の文安六年(一四四九)の条に、「大岩、御符之礼三貫三百文、頭役拾貫文、安大夫請取候」とある。また同書享徳三年(一四五四)の条に、「大岩、須田信濃守祐国、御符之礼五貫六百文、頭役十貫文、御教書祝五貫六百」とある。また同書文明九年(一四七七)花会明年御頭足の条に、「宮頭、大岩郷、御符祝五貫六百六十六文、須田信濃守満信、(中略)御教書同、彼大岩来頭にハ須田郷寄子ニ如先例可申候」とあり、この頃須田郷の寄子であることがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大岩郷の言及

【楠[町]】より

…特産品として600年の歴史をもつ赤間硯や琴がある。無数の巨岩が3haにわたって横たわる吉部の大岩郷は天然記念物に指定されている。【清水 康厚】。…

※「大岩郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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