日本歴史地名大系 「須賀尾村」の解説 須賀尾村すがおむら 群馬県:吾妻郡吾妻町須賀尾村[現在地名]吾妻町須賀尾浅間隠(あさまかくし)山(一七五六・七メートル)から北の菅(かん)峰(一四七三・五メートル)にかけての尾根を西の境として、温(ぬる)川左岸の半月形の村。東と南は本宿(もとじゆく)村。同川に沿った大戸(おおど)道(信州道)が竹(たけ)・矢久(やきゆう)・須賀尾宿・宮(みや)ノ下(した)・清水(しみず)・矢竹(やたけ)を通って万騎(まんき)峠越で西方狩宿(かりやど)(現長野原町)に向かい、矢竹から西北方須賀尾峠を越えて草津(くさつ)(現草津町)への道が長野原(ながのはら)村(現長野原町)に向かう。文安元年(一四四四)五月七日の聖栄旦那譲状(下屋文書)に「すかうのさへもん四郎殿」がみえる。天正一八年(一五九〇)の徳川家康関東入部後大胡(おおご)城(現勢多郡大胡町)牧野康成領になったと考えられ、慶長一五年(一六一〇)七月牧野氏の検地による白井領内須賀尾村御縄打帳三冊(高橋家蔵)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by