吾妻町
あづまちよう
面積:三二・五五平方キロ
島原半島の北西部に位置し、西部は愛野町、北東部は瑞穂町、南部は千々石町に接する。北部は有明海(諫早湾)に臨み、北西沖の中ノ島・沖ノ島一帯は干拓された。町域の南東部に吾妻岳(八六九・八メートル)・鉢巻山(六三八・一メートル)があり、北西に向かって緩やかな扇状地が広がり、山田川・大木場川・田内川などが流れる。町域の北部を島原鉄道が通り、それに並行して国道二五一号が通る。ほかに南部を県道の愛野―島原線などが通る。南東部は雲仙天草国立公園の指定域内。
縄文時代早期の中熊台地遺跡・山田原遺跡・守山浜辺遺跡・三室海中遺跡がある。弘法原遺跡からは早期から前期にかけての押型文土器が出土。弥生時代中期の城ノ越遺跡では箱式石棺などが検出され、田内川遺跡からは多数の土器が出土、また守山城跡からは同後期の深鉢形土器が出ている。
吾妻町
あがつままち
面積:二二二・〇〇平方キロ
中之条盆地の西南部に位置する。北は中之条町、東は東村、南は群馬郡榛名町・倉淵村、西は長野原町・六合村。北部には吾嬬山(一一八一・五メートル)・薬師岳(九七四・四メートル)があり、その南側を吾妻川がほぼ東流する。西は高間山(一三四一・七メートル)・菅峰(一四七三・五メートル)・浅間隠山(一七五六・七メートル)で限られ、東南部は榛名山北西麓にあたる。吾妻川左岸の郷原遺跡では縄文後期の土偶が出土し、吾嬬山・薬師岳に尾根続きの岩櫃山遺跡では弥生時代の墓が検出された。吾妻川右岸に四戸古墳群、また奈良時代の金井廃寺などがある。
吾妻町
あづまちよう
[現在地名]滑川市吾妻町
北陸街道の南側に位置し、東は常盤町、西は四間町、北は神明町。江戸期に加賀藩の御蔵が設置され、東の御蔵所と称された。明治九年(一八七六)にその跡地に人家を開いて東町と名付けたが、のちに吾妻町と改めたという(滑川町誌)。滑川町の御蔵は承応三年(一六五四)に設置されたといわれ(同書)、明暦二年(一六五六)に東西合せて五棟(四間×一〇間が三棟、三間×一〇間が二棟)あった(「新川郡御扶持人十村島尻村刑部手帳抜書留」加越能文庫)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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