日本歴史地名大系 「須野瀬村」の解説 須野瀬村すのせむら 山形県:西村山郡朝日町須野瀬村[現在地名]朝日町常盤(ときわ)最上川に朝日川が合流する地点の北にあり、南の朝日川対岸は松程(まつほど)村、北に赤釜(あかがま)村・水口(みなくち)村がある。朝日川の川岸に弘治二年(一五五六)の奉納経廻国供養碑がある。正保郷帳に須之瀬村とあり、田方三六石余・畑方一四石余。慶安二年(一六四九)以降松山藩領。西五百川(にしいもがわ)郷一石楢(いちこくなら)組に属し、宝暦八年(一七五八)の左沢御領知村高組訳書抜帳(松山町教育委員会蔵)では高五六石余、家数一一・人数三二。天明七年(一七八七)の松山藩左沢領村々大概書(同委員会蔵)では同高で、田一町六反余・畑一町八反余、家数九・人数三三、馬四。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by