飯給村(読み)いたぶむら

日本歴史地名大系 「飯給村」の解説

飯給村
いたぶむら

[現在地名]市原市飯給

大戸おおと村の南西にあり、養老ようろう川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二四三石。正保国絵図では高三四一石余。寛文四年(一六六四)の土屋利直領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、延宝七年(一六七九)まで久留里藩領。承応三年(一六五四)の検地当時は一村であったが、延宝八年分郷となったことに伴い、東飯給村と向飯給むこういたぶ(西飯給村)に分れたという(「村明細覚」木村家文書)。同八年より上野前橋藩領となるが(貞享元年「酒井忠挙領知目録」酒井家文書)、これは東飯給村。元禄郷帳では高三一三石余。延享三年(一七四六)の黒田直純領知目録(久留里藩制一班)に村名がみえ、久留里藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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