飽富神社(読み)あきとみじんじや

日本歴史地名大系 「飽富神社」の解説

飽富神社
あきとみじんじや

[現在地名]袖ケ浦市飯富

東馬場ひがしばばに鎮座する。祭神は倉稲魂命・大己貴命・少彦名命。旧県社。古くは飫富・飯富と書かれ、中世には飯富明神などと称した。現在は「おおのみや」ともよぶ。飫富の表記は「和名抄」に載る望陀もうだ飫富おふ郷に鎮座していたことに由来すると考えられ、「延喜式」神名帳にみえる望陀郡「飫フノ神社」(アキトミ)に比定される。大和国十市といち郡飫富郷を本貫とする飫富氏が祖神とする神八井耳命を祀ったと伝え、飫富氏系の長狭国造が創建にかかわった可能性がある。「三代実録」元慶元年(八七七)五月一七日条に飫富神とみえ、従五位上勲五等から正五位下に、さらに同八年七月一五日条では正五位上に昇叙している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む