香宗我部秀通墓(読み)こうそがべひでみちのはか

日本歴史地名大系 「香宗我部秀通墓」の解説

香宗我部秀通墓
こうそがべひでみちのはか

[現在地名]野市町東野

東野ひがしのの東南部、土居の立山どいのたてやま神社北西にある。付近を通称御墓所おみせという。香宗我部系図(「白湾藻」所収)によると、秀通は香宗我部城主香宗我部親秀の弟で、大永六年(一五二六)安芸氏との戦いで親秀の嫡子秀義が死んだため、親秀の養子となった。当時岡豊おこう(現南国市)長宗我部国親の勢力が強大となり、東の安芸氏、西の長宗我部氏と、東西から圧迫された香宗我部氏の没落は必至であった。そのため親秀は長宗我部国親の三男親泰を秀通の養子とし、長宗我部氏との連合体制をつくりあげようとして秀通に引退を要求した。しかし秀通が応じなかったため、弘治二年(一五五六)一〇月、親秀は家臣一八人に命じて香宗我部城西方の香我美野かがみので秀通を要撃させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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