香須郷
かすごう
壱岐国にみえる中世の郷村名。「和名抄」に記される壱岐郡可須郷の郷名を継承し、現勝本浦などを含む一帯に比定される。「経俊卿記」正元元年(一二五九)六月七日条に壱岐島香須郷とみえ、行昭が大宰府の妨げを停止するように後深草天皇に訴え、大宰帥藤原隆行も勅定に従うと答えたので、行昭の訴えが認められている。正平二四年(一三六九)の壱岐神領図(壱岐史拾遺)では可須郷の聖母大明神領として「可須郷之内九十四町」とあり、新庄村のほか、津甫村・初山村・有安村・長嶺村・百次良村(現郷ノ浦町)、中ノ郷(現芦辺町)の七郷村が記載されるが、これらは可須郷内とは考えられないので、社領は散在していたことになる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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