デジタル大辞泉
「香椎」の意味・読み・例文・類語
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か‐しい‥しひ【香椎】
- 〘 名詞 〙 植物「しい(椎)」、またその実の異名。
- [初出の実例]「拾ふ木の実は なになにぞ〈略〉櫟(いちひ)香椎 真手葉椎(まてばしひ) 大小柑子 金柑」(出典:謡曲・通小町(1384頃))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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香椎
かしい
立花山(三六七・一メートル)の南麓一帯、香椎宮周辺の地名。近世まで西は海に面していた。「和名抄」所載の糟屋郡香椎郷の遺称地。「日本書紀」神功皇后摂政前紀(仲哀天皇九年四月条)によると、神功皇后が誓祈のために「橿日浦」で髪をすすいだとされる。天平三年(七三一)七月五日の日付をもつ住吉大社司解(住吉大社文書/平安遺文一〇)も「日本書紀」同様の説話を載せる。「万葉集」には巻六の大宰帥大伴旅人の歌「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜採みてむ」など当地を詠じた載る。
平安時代後期香椎宮およびその社領は山城石清水八幡宮領であったが、保延六年(一一四〇)に香椎・筥崎両宮は大宰府領に付けられている(→筥崎宮)。仁安元年(一一六六)大宰府に下向した大宰大弐平頼盛は香椎宮領の本家職を蓮華王院(現京都市東山区三十三間堂)に寄進し、領家職は自身の家領としたらしい。その後平家の没落により平頼盛領も平家没官領となったが、頼盛の母池禅尼の功により源頼朝から香椎庄を含む家領は返却された(寿永三年四月五日「源頼朝下文案」久我文書/平安遺文八)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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香椎
かしい
福岡市東区の中心地区。旧香椎町。第三紀の丘陵地が広がり、かつては農村地域であったが、JR鹿児島本線、香椎線(海の中道線)、西日本鉄道貝塚線や国道3号、福岡都市高速1号が通じ交通の要地として、近年では住宅、文教地区として都市化の進行が著しく、大型スーパーや福岡女子大学や九州産業大学が立地し、臨海部では埋立てが進行している。香椎造で有名な香椎宮(本殿は国の重要文化財)をはじめ遊園地「かしいかえんシルバニアガーデン」などの観光施設も多い。
[石黒正紀]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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