勝本町
かつもとちよう
面積:二九・五一平方キロ
壱岐島の北西部に位置し、北部から西部にかけては対馬に面する。南東は芦辺町、南西は郷ノ浦町に接する。南部を刈田院川・百合畑川、東部を後川川・二ノ坂川が流れ、内陸部には平野部が広がり、農業集落が主体となっている。海岸部は丘陵地が迫っていて平坦地に恵まれず、集落の多くは断崖を背後に狭小な土地に営まれ、勝本港をはじめ浦集落を形成してきた。町域を国道三八二号、西部から南部にかけて県道の湯ノ本―勝本線・郷ノ浦沼津―勝本線・湯ノ本―芦辺線、東部を主要地方道勝本―石田線が通る。
本宮南触の松崎遺跡では縄文時代前期から後期にわたる土器などが出土している。立石東触・同仲触の弥生時代中期から後期にわたるカラカミ遺跡では朝鮮半島系の土器や石製紡錘車・銅製鋤先・鉄製鎌が出土、鉄製の釣針や鯨骨製の鮑起しなどから漁労を盛んに行っていたことをうかがわせ、また防御用と想定されるV字形またはU字形の溝を検出したほか、卜占を示す猪骨・鹿骨の発見もあった。天ヶ原の浜辺から中広銅矛が出ており、海路の安全を祈る遺跡であった可能性がある。古墳は亀石地区の双六古墳・笹塚古墳をはじめ町域に八〇余基がみられ、六―七世紀の築造とされたが、「壱岐国続風土記」では一一一基(壱岐全体では三三八基)を数えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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