馬庭村(読み)まにわむら

日本歴史地名大系 「馬庭村」の解説

馬庭村
まにわむら

[現在地名]吉井町馬庭・南陽台なんようだい

小暮こぐれ村の西、北は片岡かたおか寺尾てらお(現高崎市)と接する。北部はなか山と総称される山地をなす。南西部から南境をかぶら川が東流し、渡船があった。元亀三年(一五七二)五月二日の弁丸知行宛行状(松本文書)で「馬庭・指原壱跡」の二八貫二七〇文が松本与惣兵衛尉に与えられている。天正八年(一五八〇)六月一一日には「黒熊馬庭廿弐貫文之所」などが富田主計助に(「某判物写」富田文書)、同一一年五月四日には「馬庭之内黒駒并境塚」の両地が三木弥重郎に与えられている(「丹生某黒印状」三木文書)。「黒駒」は黒熊くろくまに比定され、当時の馬庭は広い範囲であったことを示す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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