馴馬城跡(読み)なれうまじようあと

日本歴史地名大系 「馴馬城跡」の解説

馴馬城跡
なれうまじようあと

[現在地名]龍ケ崎市馴馬町

標高二〇メートルの台地南端、字山王台さんのうだいにある。かつては前面小貝こかい川が流れ、沼田となっていたといわれる。県指定史跡。

南北朝期に北畠親房東条とうじよう庄に漂着し、常陸国の経営に乗出した時に南朝方の砦として築かれたといわれる。親房が佐竹氏・烟田氏らに追われて東条庄を去り、小田おだ(現筑波郡筑波町)に拠った後も南朝方として抵抗し、興国二年(一三四一)九月の北畠親房書状(結城古文書写)に「其外モ信太庄内佐倉楯、河内郡馴馬楯等引退候き、如此候者、当所小田城も所存難知候」とあり、南朝方の衰退に伴って馴馬楯も放棄したものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 東条

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android