日本歴史地名大系 「東条庄」の解説
東条庄
ひがしじようのしよう
千曲川を挟んで東西に広がる荘園。川東はいわゆる
荘名の初出は「吾妻鏡」元暦元年(一一八四)二月の条「信濃国東条庄内狩田郷領主職、避賜式部大夫繁雅訖、此所被没収之処、為繁雅本領之由愁申故云々」で、同書文治二年(一一八六)三月条の乃貢未済庄々注文に「
東条庄
とうじようのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報