日本歴史地名大系 「駒込浅嘉町」の解説 駒込浅嘉町こまごめあさかまち 東京都:文京区旧本郷区地区駒込浅嘉町[現在地名]文京区本駒込(ほんこまごめ)一丁目・同三丁目・向丘(むこうがおか)二丁目駒込肴(こまごめさかな)町の北に位置する日光御成道沿いの拝領町屋敷。町内は二ヵ所に分れ、南部分(俗称一丁目)は東が瑞泰(ずいたい)寺・駒込高林寺(こまごめこうりんじ)門前、西が駒込片(こまごめかた)町・湖泉(こせん)寺、北が駒込(こまごめ)天栄寺(てんえいじ)門前・同高林寺門前、北部分(俗称二丁目)は東が寄合戸田三郎四郎下屋敷、西が下総古河藩土井家下屋敷、北が駒込片町・定泉(じようせん)寺、南が円林(えんりん)寺・駒込天栄寺門前であった。麟祥(りんしよう)院領駒込村の百姓地であったが、天和年間(一六八一―八四)に黒鍬者一〇〇人へ青山浅河(あおやまあさかわ)町(現港区)の大縄拝領町屋敷の足地として与えられた。のち町屋が建ち、人別が町奉行支配となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by