駒込片町
こまごめかたまち
[現在地名]文京区向丘一―二丁目・本駒込一丁目
駒込追分から中山道沿いを中心に展開する幕府領の百姓町屋。町屋は中山道沿いの片側町(本町)のほか、三ヵ所の飛地があった。南北の総間数は九町五一間余、東西は田舎間一間より一八間で、総坪数六千四三二坪。本町は東は大円寺など、西は徒組屋敷など、南は西丸留守居戸田伊豆守屋敷、北は当町の北の飛地。町域は南北の表間口が約六町三六間、東西の裏行が七―一一間。下組・中組・上組・竹町組の小名があり、竹町組のうち駒込浅嘉町に隣接する場所は俗に槙町とよばれた。北の飛地は東は駒込浅嘉町、南は大円寺、西は小石川御数寄屋町、北は下総古河藩土井家下屋敷・龍光寺に接していた。町域は東に一七間、西に約二二間半、南に約四三間半、北に三六間半であった。
駒込片町
こまごめかたまち
[現在地名]文京区本駒込一―三丁目
明治五年(一八七二)までに麟祥院領駒込片町に駒込浅嘉町の一部と養昌寺・南谷寺・定泉寺の境内を合併して成立。養昌寺は曹洞宗寺院で、寛永八年(一六三一)に湯島天神台で起立したのち、天和三年(一六八三)の大火後に当地に移転した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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