常徳寺(読み)じようとくじ

日本歴史地名大系 「常徳寺」の解説

常徳寺
じようとくじ

[現在地名]北区紫竹東栗栖町

日蓮宗、知足山と号し、本尊十界大曼荼羅。寛永五年(一六二八)不受不施派の開祖仏性院日奥が金工の後藤長乗の帰依を得て中興した。寺伝は平安時代の創建といい、当寺は関白藤原忠実の隠棲地知足ちそく院の旧地と伝える。「山城名跡巡行志」に「在紫竹村、元知足院古址、延喜年中建、荒廃後、立法華堂、号知足山常徳寺」、「山城名勝志」に「此寺知足院地蔵菩薩像并寿永年中文書等有之」と記される。「山城名勝志」はもとは京都大徳寺領であったと記し、明応二年(一四九三)に慶琳が近辺の大宮おおみや郷を、また鬼窪弥次郎綱が蓼倉たでくら郷の土地を当寺に寄進した文書を収める。


常徳寺
じようとくじ

[現在地名]仁尾町仁尾

臨済宗妙心寺派。大安山と号し本尊は聖観音開基は不明。暦応三年(一三四〇)一一月日の藤原某寄進状(常徳寺文書)に蓮花寺を禅院に改めるとあり、明徳二年(一三九一)六月一日の橘秀村寄進状(同文書)妙宝みようほう寺は今は常徳寺というとあるところから、明徳二年に蓮花寺から土地を譲り受け、規模拡大に伴って妙宝寺の跡を継ぎ常徳寺と改号したと思われる(新修仁尾町誌)。守護細川氏の庇護をうけ、応永八年(一四〇一)円通えんつう殿建立の際の棟札に開山浄光国師とあり、京都天龍寺第四〇世を住持とした。明徳―永享年間(一三九〇―一四四一)に在地の有力者から田地が寄進されており(常徳寺文書)、隆盛ぶりがうかがえる。


常徳寺
じようとくじ

[現在地名]丹後町平

へい集落の北はずれに所在し、西に山を負い北・東には川下流の平野および日本海が開ける。山号棲厳山、曹洞宗、本尊釈迦牟尼仏。

寺伝によれば当寺はもと井上いのうえ村小字寺地てらちにあったが、永享元年(一四二九)現在地に移建、寛永一〇年(一六三三)再興、慶安二年(一六四九)智源ちげん(現宮津市)二世の請により橘州宗曇を招いて開祖となし、智源寺末院となったという。


常徳寺
じようとくじ

[現在地名]南区星崎一丁目

法輪山と号し真宗高田派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、下野国芳賀はが(現栃木県)専修せんじゆ寺三世顕智の創建で、文亀年間(一五〇一―〇四)頃の衆誓により中興されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「常徳寺」の解説

常徳寺

香川県三豊市にある寺院。1391年の創建と伝わる。1401年に建てられた円通殿は国の重要文化財に指定されている。

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