駕与丁池(読み)かよいちよういけ

日本歴史地名大系 「駕与丁池」の解説

駕与丁池
かよいちよういけ

[現在地名]粕屋町仲原

駕輿丁とも記し、「かよちょう」ともよんだ。江戸時代には宗像郡勝浦かつうら(現津屋崎町)の池で、那珂なか白水しろうず(現春日市)と並ぶ大池であった。南北一三六間・東西約三〇〇間・深さ約二間半(続風土記)。寛政五年(一七九三)の成立と推定される表粕屋郡明細帳では上中原かみなかばる村の「かよ町堤」と書かれ、水面二五町ほど。同村のほか中原村・原町はるまち村・油須ゆす村・竪町たてちよう(油須村の内)阿恵あえ村、箱崎はこざき村・宗徳そうとく分・開山堂分・壱作いつさく(いずれも箱崎村の内)・御社領分・津屋つや村・多田羅たたら(現福岡市東区)の二八九町余の田を潤した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の駕与丁池の言及

【粕屋[町]】より

…国道沿いに工場,倉庫が立地し,商工業は発展の一途をたどっている。町東部には多数の溜池があり,なかでも長者原南方の駕与丁(かよいちよ)池は福岡平野最大の溜池である。【松橋 公治】。…

※「駕与丁池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む