高天寺跡
たかまでらあと
[現在地名]御所市高天
金剛山東麓、高天彦神社付近にあった寺。千手院・釈迦堂・中室院・文殊堂などの地名が残る。平治元年(一一五九)九月二日の大和国目代下知状案(東大寺文書)に脇上荘・高宮荘が高天寺常行堂領であると記し、建保六年(一二一八)の金沢文庫蔵「瑜祇経口伝」巻下の跋、同年の真福寺(現名古屋市中区)蔵「五大虚空蔵念誦次第」一帖の跋文にも寺名が載る。室町時代には奈良興福寺末となり、六方衆の戌亥方に属した。貞和四年(一三四八)一月に北朝方の高師直によって焼かれた(小早川什書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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