高岡番所跡(読み)たかおかばんしよあと

日本歴史地名大系 「高岡番所跡」の解説

高岡番所跡
たかおかばんしよあと

[現在地名]下田村高岡

五十嵐いからし川下流右岸、高岡の堤外地にあり、今は荒地となっている。文化一一年(一八一四)の村松全藩一揆に関する覚書(藤田稔氏蔵)に「領分境へ番所役所を立御役人中勤番しけり(中略)扨村上領高崎領境高岡ト申所、是ハ先年より御役所石留材木塩木筏等御運上被仰付けれ共此度ハ万物委細ニ御糺」とあり、運上銭の取立が行われていた。番所はこの時一揆勢により打毀されている。嘉永三年(一八五〇)から安政三年(一八五六)の高岡御番所詰中手控(松島仁三郎氏蔵)によると、嘉永三年の番所役人として、定詰・吟味役・運上銭取立役三人の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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