高柳庄
たかやなぎのしよう
近世の高柳村域一帯にあったとみられる庄園。正安四年(一三〇二)の室町院御領目録(八代恒治氏所蔵文書)にみえ、皇室領であった。成立は遅くとも一二世紀の前半で、本家職は美福門院から後白河上皇、その皇女殷富門院を経て、承久の乱後、後堀河天皇を後見した後高倉院が継承した。その後は同院の皇女式乾門院に伝領、鎌倉後期には将軍九条頼経の姪にあたる室町院が譲得、室町院が正安四年没すると持明院統の皇系に伝えられ、持明院統領庄園となった(同目録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 