20世紀日本人名事典 「高柳欽一」の解説 高柳 欽一タカヤナギ キンイチ 昭和・平成期の医師 東京愛育苑理事長。 生年大正14(1925)年5月9日 没年平成5(1993)年4月17日 出生地神奈川県横浜市 学歴〔年〕千葉医科大学医専科(現・千葉大学医学部)〔昭和24年〕卒 学位〔年〕医学博士〔昭和34年〕 経歴君津中央病院で1年間のインターンを修了、昭和25年千葉大学医学部第一内科に研究生として入局、33年同大第一内科教官となり、35年から10年間、山谷で約4400人の無料診療を行った。のち、栃木日立病院内科医長を経て、41年(福)東京愛育苑理事長兼愛育苑診療所長。著書に「ドクター欽ちゃん奮闘記」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高柳欽一」の解説 高柳欽一 たかやなぎ-きんいち 1925-1993 昭和後期-平成時代の内科医。大正14年5月9日生まれ。昭和35年から東京山谷で労働者の無料診療をつづけ,「黄色い血」が問題となった39年,国会で売血制度の弊害を証言した。41年東京愛育苑長,のち理事長。平成5年4月17日死去。67歳。東京出身。千葉大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by