高永村(読み)たかながむら

日本歴史地名大系 「高永村」の解説

高永村
たかながむら

[現在地名]旭志村新明しんめい

伊坂いさか村の東、くら岳の西麓に位置する。合志こうし台地の東北隅にあたる。一四世紀中葉頃の年月日未詳の相良定頼并一族等所領注文(相良家文書)に「肥後国合志郡内高永田地拾五町永里彦次郎跡、加庶子」とみえ、永里彦次郎は人吉ひとよし庄開発領主の一人合志九郎季高五世孫とされる。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳に「高長村」とあり、名請人六六人(うち屋敷持二〇)、田一六町七反、畠・屋敷合七一町七反余、分米六二〇石七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む