20世紀日本人名事典 「高石鍈之助」の解説 高石 鍈之助タカイシ エイノスケ 大正・昭和期の料理人 全日本司厨士協会名誉会長;元・資生堂パーラー常務。 生年明治32(1899)年1月28日 没年平成1(1989)年7月7日 出生地東京都新宿区四谷 経歴大正元年13歳で京橋惣十郎町(現・銀座7丁目)の洋食屋・東陽軒に小僧として入る。名店と呼ばれた三田の東陽軒で修業を重ね、昭和3年開店と同時に資生堂パーラーに入社。6年“ミート・コロッケ”をメニューにとり入れ、それがたちまち資生堂名物となったため、他の西洋料理店でもコロッケを作るようになったといわれる。全日本司厨士協会の会長もつとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高石鍈之助」の解説 高石鍈之助 たかいし-えいのすけ 1899-1989 大正-昭和時代の料理人。明治32年1月28日生まれ。東京三田の東陽軒で修業後,昭和3年銀座に開店した資生堂パーラーにはいる。6年ミートコロッケをメニューにとりいれ,庶民の味を同店の名物にした。全日本司厨士(しちゅうし)協会会長。平成元年7月7日死去。90歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by