高越鉱山跡(読み)こうつこうざんあと

日本歴史地名大系 「高越鉱山跡」の解説

高越鉱山跡
こうつこうざんあと

[現在地名]山川町 楠根地

楠根地くすねじにあった鉱山。同所付近の地質は三波川帯結晶片岩に属し、塩基性片岩中に紅簾片岩を伴った含銅硫化鉄鉱を産出する。明治三年(一八七〇)名東みようどう県は米人フハリントンを雇入れて管内の鉱山調査を行い、「明治五年八月麻植郡川田山楠根名ニ於テ銅鉱ヲ発見ス。明治七年九月試掘ヲ許サル」(「名東県歴史」県立図書館呉郷文庫)と報告しているが、翌八年九月には試掘を延期している。同一三年の徳島県統計書の鉱山リストによれば、鉱区坪数六三〇坪、稼人四人となっている。同じく一四年のリストでは四名は川田山かわたやま村松田与市ほか三名であることが判明するが休業となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報