高隆寺村(読み)こうりゆうじむら

日本歴史地名大系 「高隆寺村」の解説

高隆寺村
こうりゆうじむら

[現在地名]岡崎市高隆寺町

古代・中世期の東海道は当村の南を通っていたと考えられている。東は才熊さいくま村、西はほら村、南は小美おい村・東丸山ひがしまるやま村、北は板田いただ村・田口たぐち村・箱柳はこやなぎ村・小呂おろ村と接する。中世、男川おとがわ庄に属すという。高隆寺領から天正一八年(一五九〇)岡崎城主田中吉政領になる。田中氏による翌一九年の寺領没収、一二坊舎滅却について高隆寺縁起は「軍勢をひきいて当山の旧領をも掠奪せんとす。故に止事の為一山の衆徒是を禦ぐの術を為すと雖も大勢に対し難く、或は討死、或は退散す」とある。慶長六年(一六〇一)に高隆寺領三五石以外は幕府領になり、寛永一〇年(一六三三)より岡崎藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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