魚住窯跡群(読み)うおずみようせきぐん

日本歴史地名大系 「魚住窯跡群」の解説

魚住窯跡群
うおずみようせきぐん

[現在地名]明石市魚住町中尾など

中尾なかお川や赤根あかね川の刻んだ段丘斜面の東西約五〇〇メートル・南北約九〇〇メートルの範囲に分布する五二基の須恵器窯跡群。一二世紀末から一五世紀にかけて操業された。昭和五四年(一九七九)分布調査と発掘調査が実施された。第二九号窯は中尾川支群のなかで最高部の標高八・五メートル地点に築かれている。焼成部のみが遺存し規模は全長五・一五メートル、幅一・六メートルで支群中最も急傾斜の床面を有する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む