魚貫村(読み)おにきむら

日本歴史地名大系 「魚貫村」の解説

魚貫村
おにきむら

[現在地名]牛深市魚貫町

北は亀浦かめうら村、東は久玉くたま村に接する。西海岸まで山が迫る。遠見とおみ(二二三・七メートル)西の魚貫崎は天草島最西端に位置し、慶安四年(一六五一)の肥後国大道小道等調帳(県立図書館蔵)に「魚貫崎船着何風ニ船五拾艘程懸ル」と記される良港。慶長国絵図に「鬼木」とみえ、正保郷帳に高三七二石八斗余とある。万治二年(一六五九)石高半減により一五四石七斗余となった(天草風土考)。久玉組に属し、庄屋は佐々木家。「国志草稿」に竈数一八・男女数二六〇、「遠見番人両人定番ス」とある。文政(一八一八―三〇)頃には高一八九石一斗余(うち新田畑三四石三斗余)、家数一七六・人数一千一三一となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の魚貫村の言及

【牛深[市]】より

…熊本県天草下島の南端にあり,リアス海岸の良港をもつ県下一の水産都市。1954年牛深町と深海(ふかみ),魚貫(おにき),久玉,二浦の4村が合体,市制。人口2万0097(1995)。天附(あまつけ)の縄文・弥生遺跡は早くから人が住みついたことを物語る。中世天草五人衆の一人久玉氏が久玉城(海城)を構築,その後南蛮貿易,海運業の隆盛に伴い,長崎,薩摩,琉球への中継寄港地として牛深港が栄えた。江戸時代の初め牛深,後には久玉も天草定浦(じよううら)の一つとなって漁業がおこり,初めはカツオ漁,明治後期以降はイワシ漁で知られた。…

※「魚貫村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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