日本歴史地名大系 「牛深市」の解説 牛深市うしぶかし 面積:九〇・三〇平方キロ下(しも)島の南端に位置し、三方を東シナ海・八代海(不知火海)に囲まれる海辺の小都市。北は天草郡河浦(かわうら)町・天草町に接し、東は八代海を隔てて鹿児島県出水(いずみ)郡長(なが)島に対する。南西に下須(げす)島・龍仙(りゆうせん)島(片島)などが点在し、その背後に東シナ海の大海原が広がる。市域中央部は権現(ごんげん)山(四〇一・九メートル)を中心とした山間部で、全体に傾斜地が多く平地に乏しい。久玉(くたま)浦の埋立によって市街地が広がっている。市名は当地方の中心、牛深による。地名由来については諸説があり、一説に潮深(うしおぶか)が転訛したものという。昭和二九年(一九五四)天草郡から分離。〔原始・古代〕下須島北端の元下須(もとげす)遺跡から縄文・弥生土器が出土。深海(ふかみ)町に古代製鉄跡の東多々良(ひがしたたら)製鉄跡がある。「続日本紀」宝亀九年(七七八)一一月一三日条に第一〇回遣唐使船が帰航中に難破して天草郡西仲(にしなか)島に漂着したとあり、西仲島は現在の長島に比定されている。「三代実録」貞観一五年(八七三)七月条・仁和元年(八八五)六月条に天草漂着の記事が散見する。漂着の地は不明だが、海流の関係から当市域周辺の下島南部と考えられる。「和名抄」の恵家(えや)郷を当市域とする説もある。〔中世〕久玉浦の最奥部に久玉城跡があり、海に面した石垣をもつ中世城跡として注目される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報