鯰江川
なまずえがわ
淀川左岸、摂河国境近辺の低湿地帯八八ヵ村の悪水排除のため掘削された(手鑑拾遺)と考えられる水路。今福村三郷橋の下で、諸村の悪水を導いてきた支水路が落合い、野江村で榎並川を合せ、安永三年(一七七四)まで京橋付近で寝屋川と合流して淀川に流入。明和八年(一七七一)の今福村明細帳(皇大神宮蔵)は「水上河州茨田郡拾七ケ所之内江三里半、水下大坂京橋廿四丁泥川也」と記す。延長七六六間・平均幅一五間・深さ平均六尺(東成郡誌)。右岸の堤防を今福堤(蒲生堤)といい、貞享四年(一六八七)の新撰増補大坂大絵図などは堤上の道に大和街道と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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