鰺ヶ沢館跡(読み)あじがさわたてあと

日本歴史地名大系 「鰺ヶ沢館跡」の解説

鰺ヶ沢館跡
あじがさわたてあと

[現在地名]鰺ヶ沢町七ッ石町

七ッ石ななっいし町の南側丘陵に位置する。この丘はもと天童てんどう山といい、南北朝から室町時代にかけて、出羽国の天童城(現山形県天童市)城主北畠天童丸が城を構え、浪岡なみおか(現南津軽郡浪岡町)北畠氏の水軍方として活躍したとの伝説に由来するという。ただし天童山の呼称はかなり後ともいわれる(鰺ヶ沢町史)。現在は小夜さよヶ丘とよぶ。館の別称は天童城または長松ちようまつ(津軽諸城の研究)

「平山日記」元和二年(一六一六)に「鰺ケ沢堀切之城成就仕候」とあり、三代藩主津軽信義の弟百助信隆が、寛永一二年(一六三五)から正保二年(一六四五)まで居住したという(鰺ヶ沢町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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