鳥栖寺跡(読み)とりのすでらあと

日本歴史地名大系 「鳥栖寺跡」の解説

鳥栖寺跡
とりのすでらあと

上川(かみかわ)町に所在した寺院。元応二年(一三二〇)一一月二〇日の銅鐘銘に「武州船木岡新庄北河口郷鳥栖寺鳴鐘」とある(風土記稿)。上川町円福(えんぷく)寺蔵の大般若経(現在七五巻を確認)は当初は「柚井郷河口村鳥栖寺什物」で、川口兵庫助幸季らが「現世安穏・後世善処」を願って大幡(おおはた)(西寺方町)の宝生(ほうしよう)寺観音堂で応永三一年(一四二四)から永享二年(一四三〇)にかけて写経したものという(「奥書」風土記稿など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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