鳥谷川
とりやがわ
明治初年の「新撰陸奥国誌」蒔田村才野神川の項に「藤枝村溜池の流末にして金木藤枝の小渠の落合僅に河となり三十丁余西に流れ北に転し豊島村界に入る豊島村より下の方を鳥谷川と云」とあり、明治一一年(一八七八)の「陸奥国津軽郡村誌」蒔田村犀ノ神川の項に「田凡七十二町余ノ悪水ヲ潟下ス」とあって、鳥谷川は妻の神川の流末豊島村領より下流の名称で、上流の灌漑と同時に金木新田低湿地帯の排水の機能を果した。川は富野村の東端で北西に向きを変え、豊岡村の中を北流し高根村の界に入る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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