神川(読み)かんがわ

日本歴史地名大系 「神川」の解説

神川
かんがわ

小県郡北部四阿あずまや山に源を発し、西麓に広がる菅平すがだいらの沼水とともに南流し、真田さなだ渓谷鳥居とりい峠から流れ出る渋沢しぶさわ川、角間かくま峠から流れ出る角間川などを合わせ、更に地蔵じぞう峠より流れ出る傍陽そえひ川、洗馬せばの渓谷を流下する洗馬川などを合し、上田平うえだだいらに出て、信濃国分寺地籍東側で千曲川に合流する。この川の上流真田町下流は上田市地籍、延長二二キロ。かん川・かん川・加賀かが川とも記された。

享保九年(一七二四)編述の「信府統記」に「加賀川俗ニカン川トモ云フ、又真田川トモ称フ、此川上ニ加賀ノ国白山権現ヲ真田村ニ勧請セル故此川ノ名トス」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「神川」の意味・わかりやすい解説

神川[町] (かみかわ)

埼玉県北西端,児玉郡の町。2006年1月旧神川町と神泉(かみいずみ)村が合体して成立した。人口1万4470(2010)。

神川町南部の旧村。群馬県と接し,児玉郡所属。人口1243(2005)。神流川南岸の秩父山地を占める。古代には阿久原牧がおかれ,良馬の産地として知られた。山林大部分を占め,山間の傾斜畑でコンニャクイモの栽培を中心にシイタケの栽培も行われる。1969年に下久保ダムが完成し,神流湖が出現した。このため旧矢納村の半分が水没して,人口が急減した。過疎地域に指定されている。道路網の整備により,観賞用の三波石を産出し峡谷美で知られる三波石峡(名)や神流湖を中心に観光開発が図られ,観光ブドウ園もつくられている。経済的には神流川を隔てて対向する群馬県藤岡市の旧鬼石町との結びつきが強い。

神川町北部の旧町。児玉郡所属。人口1万3819(2005)。神流川南岸の開析扇状地を占め,南部は秩父山地から続く丘陵である。開発の歴史は古く,町内に青柳古墳群など多数の古墳群が分布し,中世には武蔵七党の一つ,丹党の豪族阿保氏の本拠地であった。かつては養蚕と製糸が主産業であったが,現在は酪農施設園芸が行われ,梨も栽培されている。南部の渡瀬(わたらせ)には肥料などを製造する化学工場がある。南部にある御嶽山山麓には武蔵二宮金鑽(かなさな)神社と天台宗の古刹(こさつ)大光普照寺(元三大師)があり,金鑽神社の多宝塔は重要文化財に指定されている。御嶽山の鏡岩は表面が鏡のように磨かれた岩で特別天然記念物に指定されている。JR八高線が通り,経済的には神流川を隔てた群馬県藤岡市との結びつきが強い。実業家原善三郎の出身地である。
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