鳴滝山城跡(読み)なるたきやまじようあと

日本歴史地名大系 「鳴滝山城跡」の解説

鳴滝山城跡
なるたきやまじようあと

[現在地名]尾道市吉和町 鳴滝

吉和よしわの北西部、標高三一八・七メートルの鳴滝に立地する鎌倉時代末期から戦国時代にかけての城跡。ひうち灘・布刈めかり瀬戸・三原水道・尾道水道を望む絶好の城地である。

「芸藩通志」によると、宮地広義・広俊の居城で、のち弘躬のとき木頃氏によって落城探題たんだい山ともいった。「御調郡誌」には保安年中(一一二〇―二四)宮地次政が拠り、広義・広俊を経て恒躬に至り、木梨きなし城主椙原(杉原)氏に属していたが、大平山おおひらやま城主木頃石見守経兼に攻められ、応永三〇年(一四二三)落城したとあり、恒躬の子大炊介明光は因島村上氏を頼って、回復を図ったが目的を達せず、仏通ぶつつう(現三原市)一笑禅慶の弟子となって妙光と号したと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 杉原 カリ

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android