吉和村(読み)よしわむら

日本歴史地名大系 「吉和村」の解説

吉和村
よしわむら

[現在地名]尾道市吉和町・日比崎ひびさき町・吉浦よしうら町・神田かんだ町・手崎てさき町・沖側おきがわ町・東元ひがしもと町・吉和西元よしわにしもと町・福地ふくち町・新浜しんはま一―二丁目・古浜こはま町・正徳しようとく

栗原くりはら村の西に位置し、南は海に臨む。西の世羅台地最末端部に連なる鳴滝なるたき山などの山地と、東の丘陵地帯の間を吉和川とその支流が流れる。海岸を埋立てて、塩浜が造成され、吉和川河口付近に漁師町がある。村域東部に天神山てんじんやま古墳跡がある。

当村は大炊寮領吉和郷のうちで、厳島神社蔵反古裏経紙背文書に吉和郷がみえ、春麦を京へ送っている。


吉和村
よしわむら

[現在地名]吉和村 市垣内いちがうち細井原ほそいばら花原はなわらなど

吉和川の流域に開けた山間の村。西北は石見国美濃みの(現島根県)西南は周防国玖珂くが(現山口県)に接する。もと「吉羽」とも記したという(芸藩通志)中世には吉和郷とよばれ、厳島神社領であったが、天文一〇年(一五四一)以後は大内氏・陶氏・毛利氏と支配者が代わった。江戸時代は広島藩領で、家老上田家知行所。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に村名がみえ、高一千八九七石余。当村は寒冷地で積雪が多く、文化三年(一八〇六)の「佐伯郡廿ケ村郷邑記」は「雪降事夥敷、多キ時ハ軒ニ閊、公用有ル時ハ雪輪ト云物ヲ履キ、四、五人シテ踏分ケ行ト云、雪中ハ只家ニ居て火ヲ焼キ身ヲ焙リ、猪鹿ノ類ヲ取来リ、下賤ハ是ノミ塩煮ニシテ食ス、依牛馬も居宅ノ内ニ駄屋有テ火気ヲ請、寒気ヲ凌也」と記す。


吉和村
よしわそん

面積:一四五・七五平方キロ

佐伯郡西北端にあり、西北は島根県、西南は山口県に接する県境山村。北に十方じつぽう(一三一八・九メートル)、西南にかんむり(一三三九メートル)がそびえ、村の大部分山林で占められる。中央を吉和川が貫流し、その流域に開けた標高六〇〇メートルの高原盆地に耕地と集落が展開する。国道一八六号が通り、現在中国自動車道吉和インターチェンジの建設が進んでいる。冠山南の伴蔵はんぞうの地一帯、標高約八〇〇メートルの冠高原は寒冷で降雪量が多く、夏はキャンプ場、冬はスキー場として賑う。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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