朝日日本歴史人物事典 「鵜飼幸吉」の解説
鵜飼幸吉
生年:文政11(1828)
安政大獄で刑死した水戸藩士。諱は,知好,のち知明。通称は菊次郎,のちに幸吉。父鵜飼吉左衛門,母佐々木氏の長男。水戸藩独自の神発流砲術を学び安政2(1855)年,3年に武芸出精で表彰された。同3年2月,小十人組,京都留守居役手添,同4年京都留守居助役となり,京都留守居役の父を助けた。在京中は,志士や公家と交わり尊攘を唱えた。5年8月,日米修好通商条約を締結した井伊直弼政権打倒のために水戸藩に下された戊午の密勅を小瀬伝左衛門と変名し父に代わって江戸水戸藩邸に運んだ。密勅降下工作などのかどで死罪,獄門。刑宣告の際,冷笑したという。
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報