鶴生村(読み)つりゆうむら

日本歴史地名大系 「鶴生村」の解説

鶴生村
つりゆうむら

[現在地名]西郷村鶴生

阿武隈川北岸にあり、千歳ちとせ川が合流する。東は熊倉くまぐら村、北は上羽太かみはぶと村。北西一〇町に端村高助たかすけ村、西北西二六町に端村追原おいはら村がある。初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、慶応二年(一八六六)以後幕府領。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では生とあり、高四六二石余。慶安三年(一六五〇)本多忠義による検地の高九三八石余(白河古領村郷高帳)。文化年間(一八〇四―一八)の白川郡内二万石分村高(福島県史)では高九三八石余、免二ツ五歩二厘。同じ頃の家数は本村一九・高助村一四・追原村一五(白河風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報