日本歴史地名大系 「麻布広尾町」の解説 麻布広尾町あざぶひろおちよう 東京都:港区旧麻布区地区麻布広尾町[現在地名]港区南麻布(みなみあざぶ)四―五丁目麻布台地から笄(こうがい)川の谷に下りる南西麓の両側町。坂下の道路交差点を中心にほぼ五区画に分れている。東が交代寄合平野氏下屋敷・陸奥盛岡藩南部家下屋敷、西が渋谷広尾(しぶやひろお)町、南が下野佐野藩堀田家下屋敷・麻布町百姓地・仕添地・広尾稲荷社、北は寄合岡部氏中屋敷など。古来阿佐布(あざぶ)村のうちで小名を樋籠(ひろう)という。寛文八年(一六六八)家作改、正徳三年(一七一三)町奉行支配。この頃から広尾と書くようになった。以来町奉行・代官両支配。その後も家作改は新地奉行の担当だったが、享保四年(一七一九)町奉行改場になり同一六年町屋家作許可。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by