日本歴史地名大系 「麻布永松町」の解説 麻布永松町あざぶながまつちよう 東京都:港区旧麻布区地区麻布永松町[現在地名]港区三田(みた)五丁目・白金(しろかね)一丁目新堀(しんぼり)川南岸の屈曲部低地に鉤形にある両側町。西は麻布田島(あざぶたじま)町・交代寄合金森邸、東側が交代寄合松平邸・麻布南日下窪(あざぶみなみひがくぼ)町代地・竜源(りゆうげん)寺など、南が黒鍬組屋敷・伊予小松藩一柳家下屋敷など。宝永六年(一七〇九)家作許可、正徳三年(一七一三)町方支配。北方の麻布南日下窪町・同北日下窪町のうち四ヵ所が道路敷となり、元禄一三年(一七〇〇)当町入会地がその代地となった。南日下窪町の代地分は表・裏幅とも田舎間四間余、奥行一〇間と表・裏幅とも田舎間三間余、奥行一〇間。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by