麻布田島町
あざぶたじまちよう
[現在地名]港区白金一丁目・同三丁目・同五丁目
新堀川南岸低地にある片側町。北側は同川を隔てて信濃飯田藩堀家下屋敷・円沢寺・西福寺・麻布本村町・竜穏寺・明称寺・常陸土浦藩土屋家下屋敷・光林寺・出羽新庄藩戸沢家中屋敷。東が麻布永松町、南が交代寄合金森氏下屋敷・讃岐多度津藩京極家下屋敷・近江山上藩稲垣家下屋敷・小普請組支配依田邸・小姓組土方邸・豊後杵築藩松平家下屋敷など。
古来、一帯は阿佐布村に属して新堀向という小名をもった田野だった。おそらくは古川の蛇行を新堀開削によって直線化したため南岸になったと考えられ、以前は北岸下流の三田古川町同様に帰属が改められないままに江戸時代は推移して、昭和四五年(一九七〇)の住居表示まで行政上の区分が麻布として続いた(「新修港区史」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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