黍生谷村(読み)きびゆうだにむら

日本歴史地名大系 「黍生谷村」の解説

黍生谷村
きびゆうだにむら

[現在地名]朝日村黍生谷

北流する秋神あきがみ川沿いの村で、同川右岸沿いに集落があり、下流小瀬おぜほら村には野麦街道で通ずる。別に益田ました方面から信州へ行くには阿多粕あたがす(現久々野町)から北東に向かい、当地から猪之鼻いのはな峠を越え野麦街道に出た。当村の分岐点には天然石の道標が残る。元禄飛騨国検地反歩帳に村名がみえ、高六石余・畑三町七反余(うち八畝余は下々田ひえ田)。「飛騨国中案内」によれば免は三割四分九厘、家数八、うち百姓五・門屋三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android